東日本大震災 あのとき ②

ライフラインが復旧したときの感動は忘れられない。

テレビが見られる、お風呂に入れる。

そうやって日常を少しずつ手繰り寄せ始めるにつれ、目や耳に入る情報が一気に増えた。

「ああ、自分は被災者なんだ。」と改めて痛感させられ、何とも言えない気持ちになったのを覚えている。

 

私の住む地域は、津波の被害は無かったため、復興が比較的早く進んだ。

震災前と完全に同じではないが、日常を取り戻すことができた。

しかし、個人的に本当に嫌になったのはそれからだった。

 

震災後、「人と人との繋がり」だとか「絆」だとかいうテーマで作文をさせられることが増えた。

何度も、何度も何度も書かせられた。

それに私は心からうんざりしていた。

同級生は当然のように震災時の経験を書いた。

私にはそれが、震災のことを都合のいい・丁度いいネタにするような行為に思えて、どうしても嫌悪感を拭い去ることができなかった。

次第に、震災について語ることまでもが嫌になった。

風化させてはいけないことだと分かっていてもだ。

私は、震災について何も話したくないし何も聞きたくない状態になってしまった。

時は過ぎ、学部時代、震災をテーマにした授業があった。

もうそれにすら嫌悪感を抱いてしまい、授業評価アンケートをボロクソに書いたのを覚えている(ごめんなさい)。

 

そんな私が何故今、震災について書く気になったのか。

それは、曾祖母が亡くなり、戦争についての話をあまり聞くことができなかったと後悔したからだ。

一見繋がらないように見えるかもしれないが、私の中では繋がっている。

 

戦争もまた、震災同様忘れてはいけない歴史の一つである。

後世に伝えていくことの重要性は、重々承知している。

元々興味があったということもあるが、常々私は少しでも曾祖母の戦争体験が知りたいと思っていた。

しかし生前、曾祖母はあまり多くを語らなかった。私のエゴではあるが、辛いとしてももっと語ってほしかった。

その思いが自分の中でぐるぐると渦巻くうち、自分にも口を閉ざしていることがあると気づいた。震災体験だ。

このままではいけないと焦り始めた。

そして震災から11年という今、筆を執った。

 

私の経験などちっぽけなものではあるが、少しでも何か感じてくださる方がいれば嬉しい。

 

そして、以前の私同様、語ることが嫌になっている方や辛い方には、どうか無理だけはしないでほしいと思う。

しかしそれでも、いつか気持ちが落ち着いたとき。少しでも構わない。あなたの声を聞かせてほしい。